黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

惰眠の隙間

モヤモヤとした気持ちを抱えながら、一日泥のように眠った。朝起きて、少しだけ仕事をして、昼寝のつもりで目を閉じたら、気がつけば夜になっていた。
徹夜が絡んだとはいえ、これだけの長時間眠るだけの体力があったのかということに驚く。
体力的なものに加え、精神的な消耗も大きかったのだろう。バランスが取れているという意味では、健全な状態とも言えるかもしれない。

答えのないものに対して、必死に問い続ける行為はやはり疲れる一方で、大切なことなのだなと思う。
問題に対して、初めから解説を見るような行為に慣れてしまった自分にふと気づく。答えは自分で探し出さなければいけないものだし、仮に自分で見つけ出した答えだとしても、その正当性に甘えてはいけない。価値観も何もかも、定数ではなく変数のようなもの。硬直した時点で、腐敗がはじまっていく。十全なる「正しさ」など何もないという事実は苦しさもある一方で、救いでもある。
世界はあらゆるレイヤーが絡んでできているものだし、光をあてる側面で見え方が全く変わってくる。
だからこそ、生きている意味があるのだし、何かを探し続けることにも意味はあるのだろう。

断片、収束、そして集散

久しぶりに気分が高ぶっている。なぜだろう。久しぶりに人と会って話したからだろうか。
体は眠りたいと言っているのに、頭は妙に冴えてうまく眠れない。見たくもないスマホの画面を開いては閉じるを繰り返す。こういう時は目を閉じて深呼吸をすれば、少しは落ち着くということを理解はしているけれど、いざその場に当たると困ったなあで終わってしまう。知識がいくらあったとしても、有効活用できない瞬間が往往にして訪れる。

結局のところ、手元にある酒をもち、言葉をつづり始める。そういえば数年前、夜眠れない時もこうして酒を煽りながら文章を書いていた。モヤモヤとした感情が溢れてしかたのないときは、どこかに文章を書くことで溜飲を下げていたように思う。実態のない「悩み」は書き出してしまうと、思いのほか小さい。文章として、整列させればなおのこと、矮小化されるもので、こうして何かを書くことで心の平穏を保っていたように思う。だから僕にとって、掃除と文章を書くことはすごく似ている。もっとも掃除は本当にできない人なのだけれど。

「王様の耳はロバの耳」
まさしくこの場所がそうなりつつある。自分で深く掘った穴に、愚痴やら何やらを書き込んでいるようなそんな感覚。それでいて、こうしてその文章を公開しているのは、どこか遠くの誰かに見ていてほしいという願望があるということだ。矛盾に満ちているようで、それがまた美しいように感じてしまうのはエゴなのだろうか。意味のないものこそ、美しいという言葉が頭の中にリフレインする。断片的な思考が突如として収束していくこの感覚は嫌いではない。ある意味、酔っている時の特権だ。

効率的なものに対する嫌悪感は、美意識の現れであってほしいと願う。機能美ということはそれ自体の構造として全く美しくない。意味や目的ばかりに囚われたものは、時としてそれ以上の価値を持つべきではないと思う。ある種の清貧思想に似ている。そうした価値観の上でも生活は続いていく。価値のあるものを生み出し続けなければいけない人間というのは、本当に業の深い生き物だと思う。意味のないものこそが美だったはずなのに、美それ自体が価値となりうる。その矛盾に表現者は常に苦しむことだろう。価値づけられることはまるで麻薬のようで、次第に価値のある美という答えのない迷路の中へと迷い込んでいく。

言葉は本当に自家中毒を起こしやすいものだ。必死に紡ぎ出した言葉は、不自由な文脈によって様々な誤謬を生み出し、言葉を発した自身でさえも、誤謬に巻き込まれていく。初めて発せられた言葉と、未来永劫同じ意味を持つものなどは存在しない。意味というのは、一見強固に見える一方で、簡単にその姿を変える。
その一方で、人間は言葉の生き物だから、自らの言葉に巻き込まれて、自重によって身動きが取れなくなる。ある種の責任は簡単に人間を不自由にする。

そもそも自由というものは何なのか。その言葉の響きに人は常に酔いしれているけれど、自由を扱い切れる人間自体はおそらく皆無だ。不自由に対する対義語に過ぎないと考えれば、非常にわかりやすいが、それ自体は虚無に近い言葉なのではないか、と最近思う。このような概念自体が浮遊している言葉が多いのにも関わらず、使っている本人たちはあまりに無自覚だ。日本語の性質ゆえなのだろうか、コミュニケーションはかくも難しい。言葉の定義は人によって必ず異なるわけでそう考えると、永遠に人と人は分かり合えることはない。だからコミュニケーションを取るわけだが、そのことを理解している人はあまりに少ない。こんなことを考えているから、人との交流がどんどんと面倒になっていく。

誰かと分かり合えた瞬間は本当に恍惚に近い感覚で、それゆえに幻想だ。だからこそ、奇跡という言葉を使ってもいいとすら思う。どんなに儚いもので、それがもし一方的な感情であったとしても、断絶を理解した人間にとって救いになることは間違いない。そうした意味では言語という不自由なツールを使い続けることが人間が生きる意味であるということのようにも思う。

なぜかって?

十全な答えがあるのだとしたら、それほどつまらないことってないのだから。単純にそれだけの話なんじゃないかな。

伝えようとするのは生きていたいからなのかもしれない

窓の外は秋晴れの高い空だ。
連休を謳歌する人たちにとって、さぞかし素晴らしい日々になったことだろう。たとえほとんどの時間を部屋で過ごすのだとしても、高く透き通った空を見ているのは心地の良いものだ。

ここ数日は貪るように眠りにしがみついていた。張り詰めていた気持ちが少しだけ落ち着いたこともあるのだろう。今朝は久しぶりに穏やかな気持ちで目覚めることができた。健やかな気持ちで眠りに就くことが出来た証拠だ。
連休中に収めてしまいたい仕事がまだまだ残ってはいるけれど、それは後ほどの自分が頑張ってくれるだろう。そんな冗談も鼻歌交じりに頭をよぎるくらいには気分が良い。

そんな気持ちも手伝ってか、少しだけ散歩でもしようかと思いついた。決して家で全く仕事に手がつかない自分に苛ついたわけでは、ない。
日常を過ごしていると、忘れてしまいがちだけど、歩くということはとても大切なことだ。流れていく景色を眺めながら、ぼんやりと思考に身を寄せる行為だと僕は考えている。車でも電車でも景色は流れていくけれど、その速度の違いは思考の深度に関わってくるように思う。

近所の商店街には健やかな顔をした人たちがぶらついている。平日の都心ではあまり見ることのできない光景だなと思う。地下鉄の駅の中、あるいはビルの合間を急ぎ足で進む人のほとんどは何かを迫られているような顔をしている。たまに垣間見える笑顔も、どこか役柄を演じているかのよう。人間の進む速度というのは少なからず、精神状態にも影響しているのかもしれない。身の程を知るという言葉があるが、人の身体一つで進めないところまで、よくもまあきたものだ。今の僕らが扱っている速度は人間には過ぎたるものなのかもしれない。

肉体的な話だけでなく、情報の速度も、そして量も膨大なものだ。金属製の小さな箱を開けば、いまや人間が本来一生で消化できる量を大いに超えた量の知識を得ることができる。10年ほど前には、まばらな人しかいなかったネットの海も、今となっては人でごった返した行楽中の海水浴場のようだ。
誰が言ったか、「今の時代は情報を得たい人よりも、発信したい人の方が多い」という言葉があるが、そのとおりに個々人が自分の主張を高々と掲げることとなった。その姿はまるで、自分の存在を主張するために声を上げて泣く赤ん坊のようだと思う。
公共交通機関が整備され、産業は多くの分野で分業化がなされた結果、人間は身体を動かすことが極端に減った。肉体的に本能が満たされることがない中で、自分の不確かな存在を確かめるためには、誰かに自分の存在を認識され、承認されることが必要なのだろう。

葬式は本人のためのものでなく、故人の周りの人のためだということを聞いたことがある。それは、その人が確かにいなくなったのだと認識するための儀式、だと。その存在が完全に記憶からなくなったときに、確かに人は死ぬのだと。
だから生きているという実感を得るために、人は誰かに存在を認識され、理解してもらいたいと願う。生きたいと願うがゆえに人は自身の想いを発信するのだ。溢れだす情報の束は、生きている実感を得られていない人が生きたいと願う声のかたまり。そう思うと、とても素晴らしいことのようにも感じられる。

僕がここで言葉を綴り続けるのもある種の存在証明だ。多くの人の目の届く場所ではないではないからこそ、意味があると思っている。
だって多くの人が賞賛するような言葉なんて、正しさの波に押しつぶされてしまうのだから。

とある11月のこと

胃がキシキシと痛む。数年前に過労で声が出なくなった時も、こんな感じだったことを覚えている。目の奥がずんと重たい感覚。
追われていた作業が少しだけ落ち着いて、体の声を聞くことができるようになったのもあるのだろう。アドレナリンが出ていると、どうも感覚に鈍くなって、すぐに限界を超えてしまう。気持ちに未だハリはあるが、ここらで一旦休憩するのがいいのだろうと、家に常備してある漢方薬を口にした。

今月はブレーキが壊れてしまったかのように、延々と仕事をしていた。所々で休んではいたのだろうけれど、あまり記憶にないのは、体の自己防衛本能に近い何かが影響しているに違いない。いつだって、記憶は自分にとって都合の良いものだ。だから今となっては、どれほどの仕事をしたのかも、数週間前の彼が何を思い、何を考えていたかも、想像するほかない。たぶん、僕はいつだって、自分のことを他人のようだと思っている。心も身体もいつだって思い通りにはいかない。

こうした考え方はあまりふつうではないらしい。多くの人は自分のことを自分のものだと思っているし、完全に自分でコントロールすることができるとすら考えている。それが可能なのだとしたら、驚くほどすごいことだ。おそらく彼らは自分を律する力がものすごくつよいのだろう。あらゆる誘惑に弱い僕から見たらバケモノのように見えてしまう。社会人になってから、一生懸命真似をしてみたけれど、ちっともうまくいかない。まるで油の切れたロボットがギシギシと音を立てて、ぎこちない動きをしているような感覚。やらなければいけないことや、あるべき自分の姿の幻影が、重りとなって体をどんどんと不自由にしていく。お酒を飲んだ瞬間にだけ体が自由になったような感じがして、ずっと酩酊していられるのならどんなにいいのになあと思っていた。

書くことすら苦しいと思うようになったのは、いつからだろう。はじめたばかりの頃は、自分と世界を接続する唯一の手段だったのに、いつしか思い通りにならない言葉たちを手放すようになっていた。楽しかったはずという記憶の残り香に誘われた、ただの亡霊。こんなはずじゃないのに、と手が動かない自分を無理やり奮い立たせては、力を振り絞って書く。ライターとして、働くようになってからはなおさらのことそうで、自己も自我も失って身体もまともに動かない中で、筆を動かしていたのは取材者への感謝と、締め切りに対する義務感、そして期限を守れなかった罪悪感。たぶんこの半年間ずっとそうだった。

つい一週間前の仕事も初めはそうだった。どうしても書きたいのだと、周りに無理を言って受けた仕事だった。そして、3時間に及ぶインタビューを書き起こした後のある種の絶望感。自分が大切にしたいテーマだからこそ、本当に書ききれることができるのだろうか、という不安。上手く機能しない両手を無理やりに動かす。原稿を書きはじめるときはいつだって苦しい。
心境の変化が訪れたのは、5割ほど終わったころのことだろうか。あれほどまでに重かった身体が少しだけ軽くなった気がした。おそらく重なる徹夜作業によって身体中に溢れたアドレナリンの影響もあるだろう。しかし、それ以上に自分の書いている文章の終わりが見たい衝動に駆られていた。少しだけワクワクするような感覚。この感覚は久しぶりのものだった。

そのときに、ああ、そうかと思った。

たぶん僕は文章を書くこと以上に、自分の書いた文章を読みたかったのだ。

だからこそ、自分が書いた文章が取るに足らないものであることがずっと許せなかった。もちろん、その結果いい記事になったものもあるだろう。しかし、その一方でどこか自分のものでないような感覚も覚えていた。かたく気持ちを閉ざされた文章を読んだときの息苦しさ。そうした自分を見ることがまた苦しくもあった。だからもしかしたら10年以上も悩んでいたことは、至極単純なことだったのかもしれない。

原稿の最後の一文を書き上げたのは、当初の締め切りからは4日ほど過ぎたころだった。
編集者に送ったあとで読み返した文章は驚くほど稚拙で、だけれどどこか安心感のあるものだった。

そう。僕はこれが読みたかったのだ。

窓の外を見上げた。秋の空は高く、遠くまで広がっている。
だいじょうぶ。きっとまだ書き続けられるから。

調子が悪い日の浮かび方

この一週間ほど、取材なども特になかったので、部屋にこもって原稿を書いていた。
先月、先々月とほとんど外出しているような状態で、若干人疲れしていたので、溜まった原稿を片付けるとともに、休むちょうどいい機会にもなる。そう思っていたものの、いざ篭り始めていると始めの2、3日は順調だったものの、次第にあらゆることが面倒になり始めてくるのである。始めは些細な連絡から、次に仕事全体、そして次第には動くことすら億劫になってくる。

完全な引きこもりサイクルである。

元々の体質もあるのだろうが、こんなことではいけない。これから長い人生、このだだっ広い自由の中で暮らさなければいけないのだ。一刻も早く泳ぎ方なり、浮かび方を覚えなければいけない。調子がいい時はそれはスイスイといくだろうけれど、そんな日ばかりではないのだ。むしろこの歳になってくると、100%の状態で臨める日の方が少ない。だからこそ、悪いなら悪いなりの浮かび方を覚えるべきなのではないだろうか。我ながらいい思いつきだ。
このご時世、ネットを調べればなんでも載っている。よし調べてみよう。そう思って色々と見てみるものの、一件に埒が明かないのである。
確かに、ノウハウなるものはいくらでも出てくるのだ。しかし、「ムラを無くすためにルーティンを作ろう!」というストイックなものから、「頑張らないを頑張ろう」などという心温まるものまで。バリエーションが豊富すぎて、どれをあてにしていいのやらわからない。
みんな毎日コツコツと仕事をしているけれど、こんなことを考えているのかしら。今まで当たり前にしていたことかもしれないけれど、毎日同じようなパフォーマンスを続けるなんて、まるでアスリートみたいだ。そう思うとスーツを着て、髪の毛をセットして、ピシッとした格好をしている人たちがものすごい人のように思える。昔はサラリーマンなんてとバカにしていたけれど、もはや畏敬の念を抱いてしまう。「企業戦士」とはよく言ったものである。

僕も彼らから見習わなければ。「めんどくさい」「だるい」という言葉にばかり甘えていてはいけない。ダメな日はそれなりにやり過ごす技術を身に付ける必要があるのである。しかし、だ。そもそも「やらなければいけない」ことがどれほど世の中にあるというのだろうか。確かに仕事はきちんとしなければいけないけれど、それ以外のところは存外どうでもいいのではないのだろうか。そう考えると、大変なことでもないような気がしてくる。
だらだら罪悪感に苦しみながら、作業をするくらいなら、サクッと片付けてしまった方が気が楽だ。逆に言えば、それだけしてしまえば何をしていてもいいのである。
ああ、なぜこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。これでこれからの人生は明るい。
しかし、言うは易し、行うは難しとも言う。そのための方法論を考えてみようではないか。
なんてことはない。長年の引きこもり生活によって培われたノウハウは伊達ではないのだ。
まずは無理のない体を動かすことがとても大切だ。引きこもりたるもの一切の運動はせず、ベッドで寝転んだり、PCの前に張り付いている。凝り固まった体でいると、次第に何もしたくなくなるのだ。そして、体を動かすだけでちょっとしたストレス解消になる。これをまず第一に心がけよう。

そして、スイッチボタンを作ることだ。一日中同じ格好をしているとどうしてもだらけてしまう。だから朝起きたらまず着替えるのである。当たり前のことだけれど、それに慣れてしまうと意外と気がつかない。脳は勘違いしやすいと聞く。休みモードになった頭を、仕事モードだと勘違いさせることができればこっちのものだ。そして、休憩明けも同様だ。メリハリをつけるのが下手な僕としては、仕事するぞボタンが欲しいのである。いわゆるやる気スイッチというやつだ。これもパブロフの犬形式で、何かをその「スイッチ」だと定義づけてしまえばいい。これを次に心がけよう。

さて、色々と考えてみたけれど、もう出てこない。意外と書き出してみると少ないものである。たったの2項目だ。
長年のノウハウはこんなものだったのかとがっかりするけれど、意外とことはシンプルなのかもしれない。あとはきちんと睡眠をとることくらいか。
まあ最低限意識やってみることにしよう。結果に乞うご期待といってところである。

記録することでしか平常を保てないのかもしれない

片付けと文章を書くことは似ている、と思う。

「整理」という側面でもそうだが、「やらなければいけないこと」があるときに限って無性にしたくなるところが何より似ている。何事にも完璧を求めがちな作業中において、とっ散らかった状態というのはなにがしかのストレスになるということなのだろう。だからここ数年、片付けや書くことを欲しなかったのは、自発的に「やらなければいけないこと」があまりなかったとも言える。

社会というこの集合体は面白いもので、会社員になってしまえば、どんなモチベーションであってもある程度の平穏は確保される。
やる気があろうとも、なかろうとも、ベルトコンベアに乗せられたが如く、それなりの速度で日常は進んでいくのだ。
それは麻薬のようなもので、一度ぬるま湯のような感覚に慣れてしまうと、どんどんと何も考えなくなる。
もちろんその中でも高いモチベーションを持って進んでいく人もいるのだろうけれど、僕の場合はあらゆることに対する欲求は減っていた。おそらく安寧な日常が目的地だった故に、それに対する耐性がなかったのだと思う。

夢や目標というものは熱望すればしただけ、達したあとの色褪せ方というのも大きい。成功はあくまでその瞬間の状態に過ぎず、未来永劫続くものではないからだ。
一度の成功は入り口に過ぎず、その状態を維持するためには熱量を維持し続けなければいけない。その事実に気づいた時に、多くの人はある種の絶望感に襲われるのではないのだろうか。だってそんな賽の河原みたいな話はないでしょう。人生が修行だなんてそんなのはあんまりだと。
安寧な日常がもたらす快楽に気づくのだ。朝起きて、仕事を流して、食事をして、夜眠る。誰にも侵されることのない平和な暮らし。真綿のようにゆっくりと毒を染み込ませるかのようにあらゆる好奇心が死んでいく。いつもそのことを思うたびにタナトスという言葉を思い出す。そして少しだけ怖くなる。

だから何かを書かなければいけないと思ったのかもしれない。
一見平穏に見える日常と溢れかえった娯楽、そして些細なことで満たされる承認欲求に甘えている自分に気づく瞬間を減らすために。そう、これはただ自分を保つための儀式に過ぎない。
散らかった部屋を見て、整理をしなければいけないと感じるように、無為に流れていきがちな日々の記録を残すことで、そこに歯止めをかけたくなったのだろう。
甘えから逃げることはできない。だからこそ、適度な距離感を保つために規則を求めるのかもしれない。

よる、ねむる

夜、ひとりで眠ることができなくなったのはいつからだろう。
暗闇の中で微睡みを待つ。その闇の中にいくつものイメージが浮かんでは消える。どこからが夢でどこから妄想なのか。まぶたの裏に描かれる色彩は太陽の下なんかよりよっぽど鮮やかで、極彩色と呼んでも差し支えのないほど。奏でられるおはなしは魅力的だったり、哀しくて仕方なかったりもするけれど、それでもとても心を揺さぶってくる。そんな空想を見ることはいつの日からかなくなった。

高校生の頃、眠ることが嫌いだった。寝る時間があるのなら、もっと楽しいことができるのではないかと考えていた。本を読んでみたり、ガラケーをポチポチといじってみたり、深夜ラジオを延々と聞いて見たり、とかく眠りにつくのは空が明るくなり始めるころだったように思う。たまに早く寝ようと布団をかぶり目を瞑ろうものなら、あらゆる妄想が頭の中に繰り広げられて、結局のところ上手く眠ることができず悶々と過ごしている。そんな夜ばかり過ごしていた。思春期特有の悩みを何度も蒸し返したりして鬱屈とした気持ちになりながら、次の朝日を迎える。でもそれはそれでよかったような気もするのだ。それはきっと「ひとり」になることができる唯一の時間だったのだろうから。

それから10年ほどの時を過ごした僕はひとりの夜を迎えることはほとんどなくなった。寝る時間だって、誰にも左右されない。何時まで起きていたって誰にも何も言われることはない。耐えられなくなるほどの眠気を迎えれば、目を閉じればいいだけのはなし。それまでの時間を何がしかの娯楽でつぶしていればいいだけなのだ。気が付けば、暗闇の中で目を閉じて眠りを待つ時間は無くなっていた。なぜならテレビだって、ラジオだって、webの動画だって、僕が睡魔に負けるまでの時間をいくらでもつぶしてくれたからだ。なんなら酒を浴びるように飲んでしまえば、気絶するように眠ることができる。もう孤独な夜を迎える必要性なんて、どこにもなくなってしまった。

もう僕は「ひとり」で眠ることができない。眠る前にはかならず何がしかの音声を耳にしながら、眠りに就く。インターネットを開けば、誰かがいる。それが実際の人である必要なんてまるでない。「誰かがいる」という幻想が僕を眠りに就かせてくれるのだ。気が付けば、僕は孤独に耐えることなんて、とうにできなくなっていた。

ある時、「ひとり」で眠った夜があった。その夜はなぜかとてももやもやとして、ひどく不安な夜だった。暗闇の中、まぶたの裏側には小さいころ見ていたはずのいろんな光景が繰り広げられて、忘れていたことをいくつも思い出した。街灯の光、ふるさとの風景、優しかった祖父母、ひとりでさまよった深夜の街。それはとても刺激的で、頬には涙の筋がいくつも流れた。とても満たされたような気持ちだった。それと同時にとても耐えがたいような感情が胸の中に渦巻いていた。もう、こんな感情はどこにも必要ないのだと、心のどこかで感じていた。

次の日からまた元の通りに戻った。酒を飲み、何かの音を浴びながら気絶するように眠る。それが落ち着いて夜を閉じることができる唯一の手段だと、もう気づいてしまっているのだ。
もう自分の頭で何も考えたくはないと、体が叫んでいるのかもしれない。思えば、いつからか身をかきむしるような衝動は失われてしまった。誰かに気づいてほしいと叫びたくなることはなくなってしまった。これが大人になることなのかもしれないし、単に眠れない病気の副産物なだけかもしれない。

結局のところ、夜、ひとりで眠るのが怖いのだ。ひとりで自分と向き合うのが怖くて仕方がないのだ。だって見なくていいものも見えてしまうだろうから。

また僕は動画を流して、気を紛らわしながら眠りに堕ちるのだろう。きっとその誘惑はタナトスのそれと少しだけ似ている。