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黒歴史現在完了進行中(仮)

やることなすこと黒歴史

緩い境界線

Diary/文体A

今日は成人の日らしい。
祝日というのはハッピーマンデーが導入されてから
大体月曜日になったのはいいものの、
日にちが流動的になってしまったから、
なんとも記念日感があまりない。
勤労感謝の日とかこどもの日が未だに日付準拠だからなおさらだ。

一般に成人の日にはその年度で20歳になる人たちが
晴れ着を着て、成人式なるものに出るものらしい。
単なる式典なので、別段大騒ぎをするものでもない気はするけれど、
20歳になる人間が毎年一定数いることと、
20歳を過ぎた人間が思い出を語ることも多いからか、
こういう日になると意外と盛り上がっている。

僕もここは華やかな成人式の思い出を語りたいものだが、
残念ながら式典にもそのあとのうんたらにも出ることはなかったので、
あまり語れることがない。
せいぜい、当時のブログに成人式なんか出るかこのやろう、などと
悪態をついていたことくらいか。

僕がそういう人間だからかわからないけれど、
いまいち成人という言葉にぴんとこないので、
調べてみると、このように記載があった。

せい‐じん【成人】

[名](スル)
1 心身が発達して一人前になった人。成年に達した人間。おとな。現在一般的には、満20歳以上の者をいう。
2 子供が成長して大人になること。「娘はもう―して働きに出ている」

参照:デジタル大辞泉

おそらく「大人」という言葉と定義が似ていて、
最近では成人の場合は「20才以上」と数字的な定義のみとして、
扱われることが多いようだ。まあ死語みたいなものだ。

チョウみたいに完全変態ならまあわかりやすいけれど、
人間は見た目ではわからないから、そういう風に決めておきましょうということだろう。
つまりある種の通過儀礼というわけだ。
今は何でもやる必要がないと切り捨ててしまいけれど、こういうのも大事だというのはよく聞く話だ。
葬式なんかも残された人の心の整理などという意味で有用だと聞く。
とはいえ、それは本人の心の持ちよう次第で、それらを単なる飲み会と感じてしまえば、
その意味も特にあまりなくなってしまう。

なぜそうなってしまうのかというのを考えると、
その儀礼における境界線としての弱さだ。
一般的な~~式というのは何かが始まったり、何かが終わったりすることが多く、
その日を境に自分を取り巻く環境は大きく変わる。
しかし、成人式というのは「周りの目」という曖昧なものしか変化がないから、
そういう自覚的なものを感じるには若干強制力がない。
おそらく生活形態の多様化によって、
「20歳」の中にも様々なカテゴリの人がいるからどうしてもふわっとしてしまうのだろう。

似たような意味の「大人」や「社会人」という言葉も同様に曖昧だが、
意外と良い意味で受け取られがちなので、
一般にこの類の言葉は責任を押し付けたかったり、
見栄っ張りを相手にしたときに用いるのがよいかと思われる。


2015.1.11 追記
よくよく考えたら、今日が成人の日でしたね。