黒歴史現在完了進行中(仮)

やることなすこと黒歴史

お茶を濁す

先ほどまで書いていた文章が
よくまとまらなかったので、適当な文章を書いてお茶を濁すことにした。
きちんとしたものを出すために、適当なものを出すのは、
なんとなく本末転倒な感じもするけれど、
欲が出てきたのは悪いことではない、と思いたいところ。

ちなみにお茶を濁すというのは

「濁す」は「曖昧にする」という意味。
茶の湯の作法を知らない者が、抹茶を適当にかき回し、それらしくお茶を濁らせてその場をごまかすことから出た言葉といわれる。

引用元:お茶を濁す - 故事ことわざ辞典

という語源らしい。
文章の書き方をイマイチ知らない僕からすると、
ぴったり言葉にも思えるからタイトルの候補にしようと思うわけである。


さて、さらにお茶を濁すことにしよう。



ブログを始めるようになってから、だいぶ思考を整理できるようになってきた。

以前までは何かあった時に感情的になるだけだったのが、
なぜそういう風に思うのか
なぜそれが起こってしまうのか
などということを考えるようになった。

喜怒哀楽にかかわらず、感情が生じたということは
興味を持ったということなので、考えるテーマにはもってこいだし、
論理的に組み立てられれば、自分の中での整理もつくわけだ。

そういう意味では、昔から日記というものには助けられている。
とにかくいやなことがあった時は文章に書く、という習慣が半ばできてしまったほどだ。
そのせいで、未だに文章を書くときはネガティブなものやアンニュイなものが多かったりする。

逆に楽しい文章をなぜ書けないのかというと、
楽しさを整理しても、あまりいいことはなくない?という
極めて単純な論理である。
ただ論理的に整理できるのであれば、
自分にとって楽しいことを探す技術が向上して、
より豊かな人生になるかもしれない、とは思う。

思考を整理する上で、他人の目があるならなおさら好ましいだろう。
なぜならその事象単体では他人は理解できないからだ。
そして、それに至る経緯や、理由などを説明しているうちに、
なんとなく自分自身もようやくその事象が包括的にみられるようになる。
そうすれば、感情にも若干の整理はつくし、
それに関する問題点や今後の対処法も見つかるわけだ。

これは面倒な愚痴を聞くときにも非常に効果的で、
この手法を使えば、相手がしゃべっているうちに勝手に整理してくれる。
こちらが対処法や一方的な意見を押し付けるのでは反発してしまうから、
あくまで相手に整理させるというのがキモだ。
ちなみに僕はできたためしがないし、よくよく考えてみたら、
これ、子供の教育法的な何かで見た覚えがあるから完全に二番煎じである。
記事を見ながら考えたわけではないので、許してほしい。

とまあここまでつらつらと書いてみたのだけれど、
何となくまとまってしまった。
完全に冒頭部分のやついらなかったよなあ、などと
思っては見るものの、あとの祭りである。
書いたものを消すのがもったいないなんて、
貧乏性の極みだなあなんて思ったりもするけれど、
こういう感じの緩さも大事なんじゃないか、と
お茶を濁してしまいたいところ。