黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

早寝早起きの法則

規則がないと、
あらゆるものは崩壊してしまう。
それが与えられたものであれ、
自ら課したものであれ。

何かしらの基準がなければ、
それは重力のない中でぷかぷかと浮かばされているようなものだ。
最初は気持ちいいかもしれないけれど、段々と生殺しになっていく。
端的に言えば、それが自由というものなのだと思う。

自由には責任が伴うとよく言われたものだが、
今その言葉を改めて考え直してみると、非常に面白い。
おそらく噛み砕いて説明するのであれば、
自由なら規則は与えられないのだから、自らその規則を設定しなければいけない、
ということだ。

あらゆる判断基準がぼやけているこのご時世で、
能力があるとされているのは、
そういった自身の中での規則を持っている人のが多いように見受けられる。

よく書店に行くと、
~~な人はなぜできるのかというものがあるが、
ざっくりまとめるのであれば、

- 自身できちんと目標設定ができること

- それを行うための計画が立てられること

- その計画遂行能力が高いこと

の3つに尽きるのではないか。
その具体例に関しては正直なところ、あまり問題ではないのだが、
強いていうなら、その規則の設定がより社会的であるほうが好ましい。

たとえば、早寝早起きを自身に課しているとしよう。
起きるのは多くの人にとって辛いことだ。
特にこの季節は布団の中にいつまでもぬくぬくとしていたい、
という欲望に駆られる。
しかし、早く起きてやらなければならないことを早々にこなしてしまえば、
残りの時間は休日と同じだ。
やらなければいけないことを後回しにすることの罪悪感と焦燥感を感じることもなく、
しかも多くの店がやっている時間帯に外に出ることができる。
行動の選択肢が格段に上がっていくのだ。

これはあくまで会社勤めではない人の話だが、
休日に置き換えてみればわかりやすいだろう。
早起きすれば、出かけることができる場所のバリエーションが増えるのだ。

結局のところ、一人でできることは限られているわけで、
何をするにしても、他者とのコミュニケーションは必要なわけである。
だから他者の多く活動している時間帯に
自由に活動できるようにするといいんじゃないという話だ。


さて、なんでこんな話をしているかというと、
今日も寝坊して、行こうと思っていた場所が閉館時間になってしまったからだ。
言うは易く行うは難しとはよく言ったものである。
実に悲しくて、切ないので、みなさんは頑張って起きるようにしてください。