黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

僕の肩に舞い降りる白い妖精

今年は暖冬だ、などと言っているけれど、
年が明けてようやく都内でも雪が降ったらしい。
らしいというのはずっと家にいたから気づかなかったからだ。
どうやら午前中に降っていたようなのだけど、
夕方頃にはその気配も残っていなかった。
一面真っ白の雪景色を見るのは当分先のことらしい。

ところで、最近僕の肩周りも真っ白なのである。
そう、フケがひどいのだ。
きちんと髪の毛を洗っているにもかかわらず、
わっさわっさと降ってくる。うっとうしいことこの上ない話だ。
しかも不潔に見えるから困ったものだ。
不潔具合で言えば、雪と大差ないというのに。

困った僕は一応、対策諸々を含め、調べてみた。
グーグルいわくフケというものは誰でも出ているものみたいで、
単純に、見える大きさか否かというものらしい。
生活リズムや食生活などの乱れによって、顕在化してしまうようだ。
見てからは、一応気を付けているが、一向に治る気配がない。
仕方がないので、あきらめてフケは悪くない、
という方向に世論を修正したいところだ。

そもそも一般的にきれいとされている雪だが、
大気中の塵や埃が結晶化したものなので、実はとても汚い。
食べるなんてもってのほか、という話はよく聞く話だろう。
にもかかわらず美しいとされているのは、
季節感を感じさせるものであり、またあまり見ることができないからだ。

それに対して、フケはというと、
頭皮がはがれおちたものである。
元々は自分の体の一部だったのだから、そう汚いものではない。
そして、フケを落とすような人は街中であまり見ることができないし、
乾燥している冬だからこそ、見ることができるものである。

こうした要素を考えてみると、

美しいもの=雪≒フケ ↔ 美しいもの≒フケ

という数式が成立するのだ。

しかしここで大きな問題が一つある。
一般に自分の体から離れたものというのは
垢や排泄物しかり、
汚いものとされる風潮があるということだ。
確かに僕も汚いと思う。

だからどんなに論理を組み立てたところで、
この大原則を打ち破らなければ勝利はないのである。
これは厳しい。
そもそも論理自体がガバガバなのだし、
生理的嫌悪感を論理でねじ伏せようという考えがおこがましいのである。

実に企画倒れになってしまって、
哀しいところではあるのだが、
かの名探偵金田一耕助もフケをまき散らしているというし、
そこは僕も誇りを強く持って生きようと思う。

そろそろシャンプー変えたほうがいいのかなあ、と本気で悩んでいる。