読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

黒歴史現在完了進行中(仮)

やることなすこと黒歴史

知識という光源に吸い寄せられていく虫みたいだね

Diary/文体A

小さいころからわからないことがあるとすぐに調べる子供だった。
今となっては携帯電話があるけれど、
当時はそんなものなかったから、辞書を持ち歩いていた。
いろいろな言葉がその分厚い本の中には詰まっていて、
読めば読むほど、調べれば調べるほど、
わからないことが増えて、また調べるの繰り返しだったように思う。




その習慣は今でもあまり変わらない。
辞書が携帯電話やパソコンになっただけのことだ。
その性癖はあまり変わらなくて、調べ始めるとリンクを追っていって、
明るくなっていたなんてことはざらにある。
下地を付けてみれば、それっぽく聞こえるけれど、なんのことはない、
ただのネットサーフィンだ。
今ではこの言葉も死語になりつつあるのだろうか。あまり聞くことはなくなった。

知識欲というのは、浴びているだけでいささか満たされるものだ。
それだけでも上っ面は覚えているから、人にもしたり顔して語ることもできる。
それで「すご~い」などと言われた日には自分がその分野に詳しいなどと
勘違いして図に乗ってしまうのだ。思い返すと実に恥ずかしい話だ。

そんな僕のような人間からすると、
知識はその辺に落ちていて、簡単に拾ってこれるように思うけれど、
実はそうでもないのは当たり前の話だ。
たとえば、フグには毒があるけれど、食べられる部分があるということは
多くの人の死をもって、後世に語り継がれたことだし、
今では教科書に当り前に載っている数学や物理の公式なんかも、
聡明な科学者が一生をかけて、見つけたものばかりだ。
そういったあらゆる人たちの上澄みだけを得ようとして、僕らは生きている。

最近はよりそれが顕著で、
「いい人生を送るための~~の方法」とか、
「簡単にお金持ちになるためのロジック」とか、
まあ簡単に言えば、人生のガイドブック的なものなんかもよく見かける。
上澄みを得ることに慣れすぎたせいで、
そうした方法論にもすぐに飛びついてしまうわけだ。
だけど当然あまりうまくはいかない。
そうした方法論にはきっとあらゆるポイントが書いてあるんだろうけれど、
実は大事なのはそっちじゃなくて、その行程が大事なのだ。

数学の定理なんかもそうなのだけれど、
それだけ覚えていてもあまり意味がない。
どういう道筋で導かれたのかということがわかっていればこそ、
適した場面でそのロジックを用いることができるわけなのだから。

だからきっと僕らがこれからやらなければいけないのは、
さらなる知識を得ようとすることではなくて、
その工程や理由をきちんと考えてみることや、
知識と知識の間に零れている新しい知識を自ら見つけてあげることなのだろうと思う。

今の時代は技術が進み過ぎてしまって、
生活の中にあるものの大半は仕組みがわからないものだ。
でも使い方だけ、やり方だけ「知って」いれば、どうにかなってしまう。
そんな暮らしをしていれば、そりゃあ小手先だけの知識に頼りたくもなるだろう。
過程なんて知らなくても、生きていけてしまうんだから。

でもたしかにきらきらと光っているものは美しいけれど、
ことわざにだってあるでしょう。「飛んで火にいる夏の虫」って。
夏の自販機なんか見ていると、命って悲しいなあ、なんて思うけれど、
存外僕らもあんまり変わらなかったりするんだよね。

光を自分の力で生み出すことができるようになったら、楽しいのかな?
まあ、だからこうやっていろいろ考えてるんだろうね。