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黒歴史現在完了進行中(仮)

やることなすこと黒歴史

今日は休みます

今日は諸事情により文章を書くのが厳しそうなので、お休みにしようという旨を書こうと思ったわけだが、それはそれでなんとなく釈然としない。ということで仕方なしにキーボードを叩き始めるわけである。
変な所で意地っ張りなのは世渡り下手であるという自己紹介にはちょうど良いだろう。潔く、1から出直して30日また書き始めるというのも一興ではあるが、せっかく久しぶりに自分で目標設定したのである。そこは何としても死守したいところなのだ。こうも意地を張るのには1つ理由がある。それは設定した規則に例外を与えてしまうと、その中の風紀が乱れてしまいがちということである。初めの気持ちが強ければ強いほど、そうした自分自身に対する落胆というのは大きくなるものだ。かつて僕の大嫌いな先輩が言っていたのは「自分には嘘はつけないぞ」ということである。今思い返しても、あのしたり顔が鮮明に蘇ってきて、はらわたが煮えくり返りそうな気持ちになるわけだが、そこは丹田に力を入れ、自分にきゅっと喝を入れる。言葉自体はまぎれもなく正論で非常にためになる言葉だが、それを話す人によって意味やニュアンスがガラッと変わってしまうのはなんとも微笑ましい話である。そもそも正論というのは誰にでも牙をむくものであり、それは決して話者でさえも許さない。つまり彼が「自分に嘘はつけないぞ」という言葉を発することで、彼自身の欺瞞を明確に示していることになる、という話はまるで古代中国の故事みたいにとんちが聞いていて面白い話である。みだりに正論を述べることはこのように自分の首を絞めがちなものであるが、残念なことにそれに気づいている人はごく僅かといっていい。それは自分が正義を貫くことによる自己承認感がそうした欺瞞を包み隠してしまうのである。そう考えると、人それぞれ正義がある、なんて言葉にも欺瞞があるのではないかなど穿ってしまう。それはまあきっとその通りなのだが。

今日ブログを休むという判断をしたのも僕の正義によるものである。そう。都合の悪いことは「それが僕の正義」と胸を張って言ってしまえば、たいていはごまかせる。意外と勢いというのは大事なもので、たかだか10分程度で書き上げたこの文章もすでに文字数的には普段のものと変わらない。昨日の文章なんて、書くのに3時間以上かかったことを考えると、効率の良さは約20倍近い。果たして文字量が基準になることが正しいかと言われると疑問符が浮かぶところだが、そこは是非とも矛を収めていただきたい。人それぞれ好みがあるのである。もしかしたらこういう風に勢いで書きなぐった文章を好んで読んでくれる人もいるかもしれないのだ。そしてここでもいいフレーズが飛び出してくる。「人それぞれ」。ああ、なんて都合の良い言葉だろう。この個性とも言い換えられるフレーズはあらゆる人によって、都合よく曲解され、ダメな自分もそれは個性なんだよねなどという甘ったれた考え方を世にはびこらせた要因である。「脱・個性!」などというプロパガンダを前面に押し出して、教育機関へ駈け込んでみたいところでもあるが、それは完全にこれまで書いてきた文章と食い違っているとバッシングされるだろう。これが「渋谷のJK100人に聞いた人に腹が立つところトップ3」に間違えなく入るであろう態度、「掌返し」である。そう。一貫性のない態度の人間というのは非常にコミュニケーションを取りづらく、そのうちあらゆる言動が不快感にまみれてきてしまうのだ。しかしここで勘違いしないでいただきたいのは、一貫性を持つことと頑固であるということは全く異なるものなのである。間違っているというのがわかってもなお、自分の論調を曲げない人間というのもまた嫌われるのだ。自分で毅然と書いてみたものの、正直なところ全く違いがわからない。つまりここで明らかになったのは何をしても嫌われてしまう人間がいることと、僕は一貫性がないことを一貫していこうということである。
このように大抵の言葉というのはレトリックと呼ばれる技法を用いれば、簡単にごまかせてしまうということなのだ。

どうだろう、ごまかし切れただろうか。

ということで今日はおやすみです。またあした。