黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

ふりだしに戻る≒二週目の邂逅

すごろくをやると必ず「ふりだしに戻る」がゴール直前にある。
というわけで昨日一日更新をさぼってしまったから、ふりだしに戻ってしまったわけだ。また30日チャレンジである。しかし一応目標を立てては見たものの、ブログってそもそもゴールはあるのか、という話である。
これは引いて言うなら、日常生活にゴールがあるのか、という話でもある気がする。

シシュフォスの神話や三途の川の話を見てみると、
終わりがないのは一見悲惨なことのように見える。
始まりがあって、終わりがあることだからこそ、頑張れるというものだ。
でも意外と一日の単位で考えるならば、
同じことをだらだらと繰り返しているわけで、
それが悲惨なことなのかと言われるとそうでもない。
むしろ毎日が新しい体験ばっかりなら、大半の人が疲れてしまうだろう。
一般的に新しいものというのも、実はかつてあったけど話題にならなかったものや、
既存の考え方の組み合わせでしかないことが多い。
現在の段階で、存在していないものが新しいとされているだけの話だ。

歴史をひも解いてみると、非常にわかりやすい気がしていて、
実は人類は根本は同じようなことを繰り返している。
技術に関しては圧倒的に上がったのだろうけれど。

だからものごとを見るときに直線的にみるのではなく、
あくまで周回、円運動だと考えるとわかりやすい。
繰り返していく中で、様々な誤差が出て、その軌道が微妙にずれていくだけだ。
全く同じを繰り返しているわけではないけれど、近似値を取り続けているのである。

そのズレを認識できるかどうか、が
同じように見える退屈な日常を鮮やかに彩るための鍵なのだと思ったりする。

ふりだしに戻るというのは2週目ができるってことだ。同じことを違う目線で見ることができる。
前回と今回のズレを楽しめると思えば、それもそれとして面白いものだ。