黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

無題

物事にはタイトルがあってしかるべきという考えの方は多く見られるように思うけれど、時としてこのように何も語らないというのもまた乙なものである。詠み人知らずという言葉のいかに雅なことか。何事も掲示されるのが普通な世の中においてこそ、情報を極力減らすことが好ましい時もあると思うのだ。内容自体はこのように無意味に饒舌であるのだが、女性たちの会話のようにその行為自体に意味があるということもある。ともすれば名前もつけず、書き続けることにも自ずと意味が生じてきてしまう。無意味なことそれこそが雅であるはずなのに、それがそこに生じた瞬間にその美しさは消滅する。つまり無意味と称して描かれた様々なものはその意図を持った時点で意図が消滅するというジレンマがある。ゆえに無意味を描こうとすることは合わせ鏡の中にいるようなもので、無意味という意味を持つことすら無意味という意味を…と続く終わることのない無限回廊となるわけで、結局無意味と意味について語ることは、自身が自身でないことを証明できないことを示していることに過ぎず、それはある種自分では自身のアイデンティティを把握できないことにも繋がる。自分語りが忌避されることはそうした側面もあり、多くの人がそれが一部、長所あるいは短所、を誇張化したものに過ぎないことをおそらく無意識に気づいているからに他ならない。ただ、結局いつだって僕らは自分自身のことを語らなければいけないわけで、常にそうした欺瞞に囲まれ続けるからこそ、無意味であることに垣間見える真実性に心惹かれるのだろう。