黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

幕間

今日はちょっと疲れて変に早く眠ってしまった。気が付けばこんな時間である。ブログを書く時間もないし、夜は眠れなさそうだし、踏んだり蹴ったりである。とまれ、少しでも時間があるので、あがくことにしよう。最近の文章量はざっくりと減ってきていて、書きなぐり状態であるが、今日はいつにもましていうことになろう。残念という他ないが、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。いや反省は大事だけれども、結果が重要なこの世界においても反省は後回しである。ひとまずは状況の改善を急ぐばかりである。3分間クッキングならぬ、10分間ライティングである。これによって特に意味のない文章を早く書く技術だけは身につくわけだ。おそらくこの手の技術は時間のない新聞や週刊誌の記者様などが身に着けているかと思われるが、彼らは意味のある文章を早く書く技術が高いと想定されるため、格が違うと言えよう。そういう意味ではこのただ言葉をひたすらに無駄に綴り続ける行為は無為という他なく、これこそまさに手慰みの一環でしかない。前々から書いているが、単なる自己満足とはいえ、読者がいる以上それを意識するのは著者の義務といって差し支えない。こうしたあらゆる義務を放棄して、ただひたすらに殴り書きをし続ける行為というのはあらゆる書物をバカにしているのではないか。いやそんなことないか。というか最近こんな感じだし、昔から思えば大して意味もなくひたすらに長い文章を書いては読んでいる人(がいたとして)を辟易とさせていたなあ。それはそれとして、このようにまさに勢いで書き続ける文章には独特の迫力があって、さながらドストエフスキーといえば言いすぎだけれど、文章の熱量というのが伝わってくるわけだ。大体読んでいると何となくわかるけれど、柔らかくて冷たい精緻な文章を書く人というのは往々にして遅筆傾向がある。もちろん例外はいくつかいるが。ともすればそうした例外さまたちに敬意を払いつつ、この勢いだけの大して長くもない文章を締めくくろうと思う。