黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

バイオリズムには従っておこう

大体月に一回くらい、体調が悪い時と無性にイライラして仕方がないときがある。その二つは微妙にリンクしていなくて、それもまた腹立たしい話だ。というわけで今日は非常にイラついている日だ。昔はイラついているとすぐ周りにあたってしまうような非常に扱いづらい人間だったものの、そこは大人である。ひた隠しにした結果、部屋の中でぐったりしている。怒るエネルギーの消耗を抑えているのである。省エネだ。しかし鬱々としていても健康によくないわけで、さっさと寝てしまうのがよいのだろうけれど、せっかくだからとここに愚痴らしきものを書き散らかしているわけである。ここ数日のフラストレーションの原因としては、文章がスムーズに書けなくなったことが一番の原因だ。基本的なロジックは持っているものの、割とその場の勢いで書いてしまうタイプだから、書けなくなってしまうとなぜ手が動かないのかがわからなくなる。よく野球選手がフォームを崩すと何がおかしくなったのかわからなくなったというが完全にそれである。思えば、この最近は文章も書きなぐっていてばかりだったし、更新も滞っていたから、余計におかしくなったのかもしれない。経験則的には中途半端な間隔が一番調子を崩しやすくて、間を空けるのであれば、もうそれは結構なスパンで空けた方がガラッと気持ちも変わるから、良くなっていたりする。それに比べて、何かおかしいなあと思いながらやっていると、どんどんとおかしな方向に向かうデフレスパイラル的な何かに陥りやすい。これに関しては非常にわかりやすくて、かつての自分を成功モデルとすると、かつてできていたはずのことができないという焦りやいらだちというのがパフォーマンスの低下につながるわけだ。おそらくうつ病などの精神疾患に関しても同じようなことが起きていて、健全であろうとふるまおうとすることで、無理をしやすくなってしまう。取り戻す戦いというのは非常にしんどいものだ。半端な根拠のある自信は厄介極まりないものである。この理論、割と的を射ていると思っていて、大抵落ちてしまった人というのはかつての自分に戻ろうと必死にあがいてしまう。挫折然り、けが然り、病気然り。当然のことながら、人というのは常時変化しているもので、かつてと同じ自分はあり得ない。成長にせよ、老化にせよ、以前とは違う自分というのを常に受け入れていかなければ、どこかに無理が生じてしまうものなのだ。それは体のことだけではなく、周りの環境ももちろんそうで、常に変質していく環境というのを受け入れていかなければいけないわけなのだけれど、地面がゆらゆらしていると、自分の不確かさが露わになってしまうから、それをひた隠しにするために、多くの人がその地平の頑強さを示そうと頑張るわけだ。まあ、そうやって不確かに思えるものに身を任せるものというのは非常に怖いわけで、ともすれば自分の感情と思しきものにすら抗うわけである。こうしてイライラを抑えきれないままに書きなぐっている愚か者がここにいるように。もう自分でも何を書いているのかわからなくなっているくらいなのだから、冷静な僕は早く書くのをやめればいいのに、と頭の隅でずっとつぶやいている。