黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

「失敗」しなくなることで落胆はなくなるのではないか

はじめに

僕は昔から割と落ち込みやすい方で、ちょっとしたことですぐにへこむ。
幸いなことにひどい失恋などはしたことはないが、挫折は多い人間である。

個人的に、落ち込むことは感受性の表れだから悪いことではないと思うけれど、それがあんまりにも長引くと流石に支障が出てくる。
話すたびに愚痴を吐かれたりすれば周りの人も自然と距離を取ってしまうわけだ。
そうなると余計に落ち込んだり疑心暗鬼になってしまうわけで、完全に負のスパイラルに入ってしまう。できればその前にサクッと処理しておきたいもの。

かくいう僕も現在かなりへこんでいるわけで、それの気分転換としてこの記事を書いている。普段からこんなこと心掛ける必要もないけれど、底なし沼に沈められているような気持ちの人はこれを読んですっきりしてもらえればうれしく思うし、普段あまり落ち込まない人はこういう人もいるのか、と生暖かい目で見守りつつ、いわゆるメンヘラに対しての理解を深めてもらえれば幸いである。

なぜ落ち込んでしまうのか

もちろん人によっていろいろ理由はあるのだと思うが、個人的にがっかりしてしまうことを3つほどあげてみる。

  • 対価に対して、正当な報酬を得られない
    • 例)努力が報われない、など
  • 外的な原因で、できるはずのことができなくなってしまうこと
    • 例)金銭的な理由で進学できない、など
  • 昔出来たことができなくなってしまう
    • 例)体が思うように動かなくなった、など

経験がある人も少なくないのではないだろうか。
この3つに共通のこととして、自分の想定よりも結果が悪いということである。ざっくりいうと「こんなはずじゃなかった」状態ということだ。自己評価と結果とが大きく離れていることによって、どんな結果にしても「失敗」と認識してしまうことが落ち込みの大きな要因である。「成功」が自信をつけるように、「失敗」は自信を失わせる。その自信の喪失こそが落ち込みの大きな原因なのである。

「失敗」を認識しないことが落ち込まないための秘訣

今まで見てきた中で落ち込まないように見える人は少なからずいる。俗にいうタフな人というやつだ。

ただその中でも二通りタイプがあって、

  • 「失敗」を繰り返す人
  • 「失敗」を糧にできる人

といるわけだ。

落ち込まない人の共通点としては見出しに書いたように、「失敗」を「失敗」と思わないことなのだが、その捉え方が両者では大きく異なる。
「失敗」を繰り返す人というのは、文字通り「失敗」を認識せずになかったことにしてしまうわけである。要するに人の話を聞き流す能力の高い人だ。こういう類の人は怒られても気にもかけないので、確かに非常にタフである。

対して、後者は「失敗」をハナから計算に入れているのである。常に最悪の事態を想定して、リスクヘッジを行っているから、ちょっとした「失敗」ではあまり大きな動揺を伴わない。だからそういう事態が起こっても冷静に対処をして、被害を最小限に抑えることができるし、次のステップへもスムーズに進むことができる。

人間が追い込まれるのは選択肢がないと感じているときである。だから、選択肢を増やして保険をかけておくという考え方の後者は追い込まれづらいのだ。
しかし、こういう考え方は一朝一夕に身に着けられるものではないし、そもそもそれができているのであれば、最初からひどく落ち込むことなんてないのである。
僕もできないから落ち込んでいるわけで、じゃあ落ち込んだらどうすればいいのか、という話だ。

落ち込んだ時のための対処の仕方

何事においても時間が解決してくれるというけれど、やっぱり先の長い話だ。何をするのもだるくなって、家でゴロゴロしていたらどんどんと悩んで、落ち込んでしまう。
だからひとまずは体を動かしてみることだ。別に外に出かけるでもいいし、文字通り運動するでもいい。ひとまずそこから頭をそらしてみるのである。
その場凌ぎと言われてしまうかもしれないけれど、意外と重要なことで、悩んでいるうちというのはかなり感情的になってしまっているから、そこから一度目線を逸らすことで、その「失敗」を客観的事実として捉えることができるのである。
これはお葬式のときなどにもよく言われることだが、喪主は故人を悲しむ暇もなく、後始末に追われることで「死」というものを事実として認識するのだ。
だから、ひとまずはいったん目を逸らして、視野を広く持ってみたほうがいいだろう。

また体を動かすことによって、睡眠をきちんと取ることができるようになるから、規則正しい生活になっていく。健全なる精神は健全なる身体に宿ると言うが、まずは健康な生活を心がけることだ。一般に精神病と呼ばれるものの多くは脳内物質が適正に分泌されていないことから起こるものである。
「落ち込んだら、上手いもの食ってさっさと寝ろ」などと僕もよく言われたものだが、ひとまずはその助言を聞いて見るのも手なのではないだろうか。

おわりに

まあ、人間それなりに生きていれば「失敗」はつきものである。それで落ち込むのも当然のことだし、それでこそ人間らしいと思うわけだ。
古くからの物語の多くは「挫折からの復興」なのである。とはいえ、やっぱり一度転んでしまうとやっぱり起き上がるのは大変だし、その過程で歪んでしまうこともあるだろう。
だれでもそんなことをできるわけではないのだ。
だけれど、一度きりの「失敗」で絶望してしまうのは早いような気もするし、それで大きくこじらせてしまうのももったいないと思うわけだ。
だから、自戒も含めてこんな記事を書いてみた。

ひっくり返してしまうようでアレだけど、個人的にはたくさん失敗していっぱい落ち込んでしまえばいいと思うのだ。
だって、それは生きている以上逃げ切れないことなのだから。
だけれど、起き上がるのはこういった小手先の技術で意外とどうにかなる。
だからいっぱい転んで、いっぱい起き上がれれば、その分それっぽい人間になるんじゃないかなあ、って思ったりするわけです。
というわけでへこんだ人の気分転換になれば、何よりかな。