黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

精神と時の部屋の中にいるかのような夏の終わりのある日

完全に思考停止。興味のあることもないこともごった煮にして、ぽいと捨ててどこかへ。幸いにして今の世の中、暇をつぶすことには事欠かない。こうして無為に時を過ごすことで、時の流れの早さは一層際立つ。哲学的ゾンビという言葉が一瞬頭をちらつくものの、完全に語感だけの代物。どちらかというとリビングデッドの方がニュアンスはあうだろうか。とまれ、人間としてのあらゆる生産行動を無視したかのようなその様は自責の念と共にちょっとした愉悦を催させる。優雅こそ最大の復讐とはどこの国のことわざだったか。誰にも知られずひっそりとした暮らしをする者が、もしかしたら一番の幸福を掴んでいるのかもしれないとすら思う。あらゆる欲から解き放たれたその生き様はよくぞ解脱などと言ったもの。そこまではいかないにせよ、ほどほどの欲を持ち、それを満たす生活の美しさよ。今こそ断捨離、と騒がれたのはいつのことだっただろう。結局のところ、人は欲からは離れることができない。もし7つから選ぶとするのであれば、断然怠惰を押したいところ。すべての人がそこそこに怠惰になるこそことが幸福の秘訣。偉い人もそう言っていたはずと胸を張るものの、いまいち記憶が定かではないのが悲しい。他人の胸を借りて威張ることにむなしさは感じないのかと問われれば、もちろんあるとこちらも胸を張って答えるわけで、自身の言葉を持つなどということはあまりに幻想じみていて、その発想自体がすでに手垢にまみれている。素晴らしい格言とやらはすでにその発言者のもとを離れていて、あらゆる編集者や読者によってまったく別のものに変質していくわけだ。元来言語というのはそうした性質のもので、他者同士のコミュニケーションを図るためのものである以上、宙ぶらりんと言っていい。そもそも脳から伝達して口から発せられる、あるいは指から綴られるという過程の中でそれらに若干の変質が起こっている可能性はかなり高いだろう。普段生活していると気付かないものだが、我々の営みとはこのように不安定なものだらけだ。不安定に不安定を積み重ねた結果、安定しているように見えるその様はまるで土台がぼろぼろになっていても立ち続けるジェンガのような感覚を覚えさせる。
さて、勢いに任せて書きなぐった結果、そろそろ収拾のつかないところまで、話を進めてしまったわけで、これ以上先に行こうとするなら、僕の精神が危うい状態になることは想像に難くない。似非とはいえ、こうした哲学じみた一見深いように感じる話というのはあらゆるものを抽象化するゆえに、自我を危うくさせる。中二病にメンヘラが多いのはそうした性質ゆえのもので、その解釈によるならば、僕もメンヘラと考えることはそう間違いではない。そもそもメンヘラとは何なのか、と考えてみると、2chメンタルヘルス板の使用者のことを指していたような覚えがあるが、一般的にはもはやそうした用途では用いられない傾向があり、それよりも恋愛の過程の中で相手に異常な執着を示したり、自傷行為を行なういわゆるかまってちゃんを指すことが多いように思う。パッと見、異常に見えるという点ではもしかしたら似ているのかもしれないが、前者にありがちなうつ病患者などには決して用いられないことを考えると、ある種の性癖を示す記号のようになっている感がある。まあ兎角、人は自分の受け入れられないものをこうして記号化して、面白可笑しく茶化す傾向があるようで、主なネットスラングは排他的に他者を攻撃したり、嘲笑したりするようなものがほとんどだ。最近知ったネットスラングの一つとして、陰キャラというものがあるわけだが、これはいわゆる教室の片隅で細々と暮らすさえない人々のことを指すらしい。スクールカーストとは恐ろしいものだ、と経験したことのない僕は思うわけだけれど、あらゆる社会において格差が生まれてしまうのは致し方のないことである。しかし、考え方を少しかえてみると、侮蔑の言葉を受け入れてしまうことで、下層に落ちているという可能性もある。何にしても上下を決める際には基準がなければ成立しないわけで、その判断をすることができる人が結果的にそのピラミッドの頂点にいることができるのだ。別の社会にいると割り切ってしまえば、簡単に離れることができる。これこそが先に話した、優雅こそ最大の復讐の本来の意味であり、実のところ、幸福度を高める最高の方法なのではないかと考えている。
そろそろ酔いもピークになり、話も若干まとまりかけたように見せかけているので、話を結ぼうと思うわけだが、これまたうまい結びの言葉が見つからない。何ごとも終わり間近になると寂しさを覚えるのは致し方のないことだ。しかし、何かが終わるということはどこかに戻るということでもあるわけで、そうした日常のありがたさを享受する機会でもある。退屈に見える日常こそが人生の大半を占めるものであり、また平穏のしるしであることを多くの人に気づいてほしいと切に願うとともに、そろそろ僕の平穏すぎる日常もどうにかしたいという個人的な願いもこめて、この文章の結びにしたい。

※この文章はやけ酒をした結果、ひどい酩酊状態の筆者によって書かれていることを考慮の上、慈愛の精神を持って読んでいただければ幸いに思います。