黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

セカイは啓示に満ちている

少し力を抜いてまっすぐにカッターを下ろす。断面はきれいな線となっていた。
昔から不器用と言われ、あらゆる手作業は苦手だと感じていた。こんなにきれいに切れたのは初めてのことだったかもしれない。
うれしさと共に、できないはずのことがあっさりうまくいったという大きな驚きがあった。

最近、カッターを使う作業を頼まれることが多い。学生時代のアルバイトでカッティングはよくやっていたため、どうすればいいかはわかっているものの、どうにも苦手意識は拭えない。そのバイト先の上司いわく「お前ほど手先が不器用なやつは見たことがない」と称されたくらいだ。初めてこの職場で頼まれた時も正直きれいとは言えない代物だった。それでもなお頼まれ続けたのを考えると、最低限のレベルには達していたのかもしれない。
その日は2部ほど裁ち落としを命じられた。緊張感の中、力いっぱい定規を押さえ、カッターを下ろす。やっぱり若干歪んでしまう。とはいえ、泣き言は言っていられない。できる限りきれいに切るためにきちんとやるだけだ。
そうして十枚ほど切り終えたときにもう少し力を抜いて切っても大丈夫なのではと思い始めた。分厚い紙なら表面だけしか切れなくて面倒なことになってしまうが、これくらいの厚さならいけるだろう。少しだけ手の力を抜いてカッターを下ろす。先ほどよりまっすぐな線だった。よし、いける。そうして邪心を持って臨んだ次の一枚は大きく歪んだ。欲が出たな、と思わず苦笑いをしてしまう。余計なことを考えずに体の動きに集中しよう。力を少し抜いて、膝を使って腕をまっすぐに引く。
無心で切り続けているうちに、腕だけではない、大きな体の動き方がわかってくる。今なら昔もらった多くのアドバイスの意味がわかる気がした。カッターと定規は垂直に。指先はすこし定規を押し当てるよう意識しながら、腕は体の正中線を意識しながらまっすぐに引く。切り続けるうちに線はどんどんときれいになっていった。

「頭でわかったと思っているうちはわかっていない」と父に言われたのはいつのことだったろう。その言葉を初めて聞いたときは禅問答のようで意味が分からなかった。たぶんこういうことなのだ。
頭で理解して、それができるようになるまで繰り返す。わかることはゴールではなく、スタートラインに立っただけ。できるようになった後も、何度も繰り返す。無意識で体が動くようになり、無心になった瞬間に、新たな発見が唐突に訪れる。神の啓示のようにも感じられるその感覚は、多くの邪念から解き放たれてこそ見出すことができるものだ。そうした意味では私たちの周りには多くの啓示がすでに張り巡らされていて、ただ単にそれに気づくことができないだけなのかもしれない。

今度はもっとうまく切れるといいなと思う。ただ、現実はきっと元のへたくそに戻っているだろう。その時は今日のことを思い出して、もう一度やり直せばいい。そうすればまた新しい発見が生まれるかもしれない。