黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

老害死ねって叫んでる僕らが老害になる日は近い

この間、友人と話していて、
老害にはなりたくないものだよね、
という話をしていた。

一応、わからない人のために説明しておくと、老害っていうのは自分の価値観を自分より年下の人に押し付けてしまう人たちのことで、年齢に関わらず、応じてたちが悪い。



人それぞれ主張はあって然るべきなわけなのだけれど、違う価値観を徹底的に非難したり、世代とか大きな枠で囲って、謂れもないようなことで攻撃したりしてくるわけだ。

でもよくよく考えると、これっていわゆる世代が上の人たちだけじゃなくて、どの分野にも存在するものなんだよね。
これは年齢の戦いなんだけど、男女でもそうだし、国同士でもそう。
分類されたら、すぐ戦い始める。
まあ喧嘩をするということは、同程度の考え方ということで、どちらを見てもあまり大差がない。

老害対若者の構図においても、それはあんまり変わらなかったりする。
老害死ね」とか
「大人は何もわかってくれない」とかは
「これだから若者は」
という老人方と変わらないわけだ。

違うのは老人が地位や金を持っていることなわけなのだけど、それは若者にしたって、何かしらの庇護下にあるわけだから似たようなもので。
むしろ若者はそういうことを言うべきだ、という風潮すらあったりして、大手を振って他人を批判していることが、やんちゃと呼ばれ推奨されていたりもするわけだ。

だけど、ここでちょっとした問題が発生する。
上にあげた男女や国の問題と異なり、若者はいつか老人になってしまう。
ということは今まで若者として様々な発言を許されていたのが、次第に許されなくなってくる。
だから彼らの本質は実は若者とあんまり変わらない。
歳を取ったから意固地になってしまうのではなくて、若さを持っているがゆえに老害になってしまうだけの話だ。

時間というのは常に進み続けるもので、いつまでも同じ場所に居続けることはできないから、僕らはベルトコンベアに乗せられているようなもの。
そんな仕組みの中で、いつまでも同じ場所に留まり続けようとするのは、機械の動作不良を招きかねないわけ。

精神ってあまり成長を感じられないもので、僕ももう30が見える年頃だけれど、気持ち的には10代みたいな感覚だったりする。
年を取ってるって実感するのはいやなものだし、つい最近まで許されてたことができなくなるのって、納得できないけどさ。
それができる「大人たち」にやっぱり救われてきたことはあるわけで、それを引き継いであげるのも一興だと思うんだよね。

別に年下の人に好かれる必要はないし、
媚びへつらうことも必要ないし、
時として戦う必要もあるんだけど、
まあ話を聞くくらいはしてもいいんじゃないのって。
自分の正しさの唯一性を貫くより、正しさって自分の中に複数持っといた方が単純に楽だしきっと面白いよ。

だから、「この老害」って喚きたくなったら、一呼吸おいて考え直してみてほしい。
この人たちはかつて若者だった人で、
今も若者気分なだけなんだって。
それができるようになれば、僕らも老害にならなくて済むかもしれない。