黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

つまらないことを語るときほど饒舌になる

ここ数日、読んだ本や見た演劇のレビューでも書こうと、
悪戦苦闘しているのだけれど、これがまた難しい。
そもそも文体をどうおいていいか迷うわけだし、
どこを評価の軸とするかを考えるのかが難しいのである。

それでもまあ読み物として面白ければまあいいかなと思うわけだが、
いったん書き終えて、ふと読み返してみると、
これがまたつまらないことこの上ないのだ。
出来の悪い読書感想文である。
内容などそっちのけで自分の思い出を語り続けるだけか、
あらすじを話して端的な感想を述べるだけとなってしまう。
自分とその創作物との接点が上手く紡げないのだ。

そもそも自分が面白いと思ったことを饒舌に語ることが昔から苦手である。
つまらないことやいやなことに関してばかり饒舌になってしまう。
つまり批評は苦手だが、批難は大得意なのだ。
これに関しては一定の解釈が自分の中でできていて、
いやなことやつまらないものに対しては負の感情が発生するわけで、
それになんとか折り合いを付けようと自分に言葉で説明しようとするのである。
しかし面白いものというのはもうそれだけで満足なわけで、
説明や分析をする必要がない。
むしろしてしまえば、そこにあるプリミティブな感情が分解されてしまうわけだ。
だから良いものを表現するときは語彙がいつも陳腐になってしまう。
いつも書いている内容が若干ネガティブなことが多いのはそのためなのである。

負のエネルギーを発散していると言えば、
聞こえはよいが、読み手がいるものなのである。
できるならポジティブに読んだ人が幸せになるようなことを書きたいなあ、
などと思っているのだが、書き終えるとなぜか怒っている。
怒っていないにしても、なんとなく愚痴り気味である。
仕事帰りの飲みの席で上司の説教を聞いているようなものだ。楽しいわけがない。
(そういえば、最近そういう風潮があるらしい。気を付けなければいけない)

ポジティブ一辺倒というのもなんか信用できなくて、
好きではないのだけど、逆も確かにあまりよくないものである。
どちらか極端と言わず、中庸になれれば素晴らしいことなのだけれどなあ。