黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

酒と書物

最近は酒を飲みながらブログを書いている。特に儀式的な意味もなく、単純に寝る前に書くからという側面が大きい。初めのうちは肩ひじを張って良い文章を書くぜえ、なんて意気込んではいたもののその辺りの決意というのは往々にして脆いものである。気が付けば、頭の中に浮かんできた言葉をただ書きなぐっている作業に他ならないのである。駄文という他ないが、当初の目論見通り何かを書くことが習慣になりつつあるので、その点に関してはよかったといえよう。僕はお酒を飲むとなんでも楽しくなってしまうから、内容には特にこだわりもなく、ただ頭を回転させてキーボードを打っているという行為自体が若干快感である。にもかかわらず、こうして23時を過ぎるまで自分のブログを決して開こうとしないのは、少なからず義務の意識があるのか、あるいはそういう習慣になってしまったのか。どんなものにせよ、最低限の時間をかければ、質か量かのどちらかは最低限のクオリティラインに達するのだけれど、こうなってしまえば、そういうことは望むべくもない。かといって治す意思もなく、今のところ、方向性が全く見いだせていないのである。一時の快楽を求めているだけと考えればまあよいことではあるし、どんなものであるにせよ、積み上がっているだけでそれなりにみえるものだ。ブログの記事数もひとまず数は増えてきたから、その点では素直に喜べる。
さて、酒と書物と言っても書くことだけではない。読む際もアルコールが入っていると素直に楽しめるものだ。新書や専門書などはやはり頭が回っていない状況で読解するのは難しいものだが、こと小説やエッセイといった感受性に訴えかけるようなものであるなら、通常時の数倍は楽しめるのではないか。無論当人比である。普段は何にも思わないようなことに怒り、悲しみ、感動する。まるで子供のころのようなきらきらとした世界が生み出されるような感覚に陥るわけだ。まさしく天真爛漫。お酒を飲むというと、人とワイワイすることをイメージする人もさぞ多いことと思うが、一人遊びのときにもこれは有効である。先日、酒を飲みながら演劇を見たのだが、おそらく素面で見るよりも数段面白かったように思う。音楽もそうだ。クラブイベントなどになれば、素面になれば大きな音がただわんわんとなっているだけで、苦痛という他ないが、酒が入っていればそれなりに楽しめる。アルコールは脳のある部分を麻痺させているというから、その分だけ快楽を感じる物質が多く出るのだろう。トリップするという感覚に近いのだろうか。かの坂口某や織田某もヒロポンやら何やらを打って文章を書いていたという。有名なミュージシャンも一時期たくさんオクスリで逮捕された。そう考えてみれば、正常な判断を狂わせることがある種の芸術性の発揮を生み出すと言えないこともない。とはいえ、今は芸術も何もかも文脈の世界である。ただ勉強も何もせず爆発だ、などと言っても、圧倒的な才覚や人望がない限り、お金にはならない。しかし、金にならないことこそが芸術という考えもあるわけで、そういう意味では抽象的な概念は人それぞれ好き放題に扱われてしまいかねないのである。僕もお金はないし、ほしいところではあるのだけれど、心持だけでは大量の預金を残しながらも餓死して死んだという老作家を見習いたいものだと思う。