黒歴史現在完了進行中(仮)

自由帳みたいなもの

調子が悪い日の浮かび方

この一週間ほど、取材なども特になかったので、部屋にこもって原稿を書いていた。
先月、先々月とほとんど外出しているような状態で、若干人疲れしていたので、溜まった原稿を片付けるとともに、休むちょうどいい機会にもなる。そう思っていたものの、いざ篭り始めていると始めの2、3日は順調だったものの、次第にあらゆることが面倒になり始めてくるのである。始めは些細な連絡から、次に仕事全体、そして次第には動くことすら億劫になってくる。

完全な引きこもりサイクルである。

元々の体質もあるのだろうが、こんなことではいけない。これから長い人生、このだだっ広い自由の中で暮らさなければいけないのだ。一刻も早く泳ぎ方なり、浮かび方を覚えなければいけない。調子がいい時はそれはスイスイといくだろうけれど、そんな日ばかりではないのだ。むしろこの歳になってくると、100%の状態で臨める日の方が少ない。だからこそ、悪いなら悪いなりの浮かび方を覚えるべきなのではないだろうか。我ながらいい思いつきだ。
このご時世、ネットを調べればなんでも載っている。よし調べてみよう。そう思って色々と見てみるものの、一件に埒が明かないのである。
確かに、ノウハウなるものはいくらでも出てくるのだ。しかし、「ムラを無くすためにルーティンを作ろう!」というストイックなものから、「頑張らないを頑張ろう」などという心温まるものまで。バリエーションが豊富すぎて、どれをあてにしていいのやらわからない。
みんな毎日コツコツと仕事をしているけれど、こんなことを考えているのかしら。今まで当たり前にしていたことかもしれないけれど、毎日同じようなパフォーマンスを続けるなんて、まるでアスリートみたいだ。そう思うとスーツを着て、髪の毛をセットして、ピシッとした格好をしている人たちがものすごい人のように思える。昔はサラリーマンなんてとバカにしていたけれど、もはや畏敬の念を抱いてしまう。「企業戦士」とはよく言ったものである。

僕も彼らから見習わなければ。「めんどくさい」「だるい」という言葉にばかり甘えていてはいけない。ダメな日はそれなりにやり過ごす技術を身に付ける必要があるのである。しかし、だ。そもそも「やらなければいけない」ことがどれほど世の中にあるというのだろうか。確かに仕事はきちんとしなければいけないけれど、それ以外のところは存外どうでもいいのではないのだろうか。そう考えると、大変なことでもないような気がしてくる。
だらだら罪悪感に苦しみながら、作業をするくらいなら、サクッと片付けてしまった方が気が楽だ。逆に言えば、それだけしてしまえば何をしていてもいいのである。
ああ、なぜこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。これでこれからの人生は明るい。
しかし、言うは易し、行うは難しとも言う。そのための方法論を考えてみようではないか。
なんてことはない。長年の引きこもり生活によって培われたノウハウは伊達ではないのだ。
まずは無理のない体を動かすことがとても大切だ。引きこもりたるもの一切の運動はせず、ベッドで寝転んだり、PCの前に張り付いている。凝り固まった体でいると、次第に何もしたくなくなるのだ。そして、体を動かすだけでちょっとしたストレス解消になる。これをまず第一に心がけよう。

そして、スイッチボタンを作ることだ。一日中同じ格好をしているとどうしてもだらけてしまう。だから朝起きたらまず着替えるのである。当たり前のことだけれど、それに慣れてしまうと意外と気がつかない。脳は勘違いしやすいと聞く。休みモードになった頭を、仕事モードだと勘違いさせることができればこっちのものだ。そして、休憩明けも同様だ。メリハリをつけるのが下手な僕としては、仕事するぞボタンが欲しいのである。いわゆるやる気スイッチというやつだ。これもパブロフの犬形式で、何かをその「スイッチ」だと定義づけてしまえばいい。これを次に心がけよう。

さて、色々と考えてみたけれど、もう出てこない。意外と書き出してみると少ないものである。たったの2項目だ。
長年のノウハウはこんなものだったのかとがっかりするけれど、意外とことはシンプルなのかもしれない。あとはきちんと睡眠をとることくらいか。
まあ最低限意識やってみることにしよう。結果に乞うご期待といってところである。